国鉄初の張殻構造(モノコック構造)の超軽量客車が、1955年川崎車輌(現、川重)、日立、日車、汽車製造(後に川重に併合)で計8両、試作車として製作された (ナハ101形〜108形、後のナハ10901形〜10908形)。1956年から量産され、1965年まで製作された。1953年〜1954年欧州での軽量化車輌の調査から帰った星氏(後に国鉄 副技師長、川重 常務を歴任)が先進諸国のスイス・ドイツ・フランスでの調査結果も加味して設計されたものであるという。
この10系客車では、側板・屋根・妻板を含めた車体全体で強度を持たせる張殻構造とし、格段に軽量な車体として脚光を浴び、またデザインの面でも大型の窓を備えたスイス流の軽快なものになり、以後の国鉄の車輌デザインに新風を吹き込んだ、といわれる。客車の屋根や床板を木製から鋼板張りにして剛性を持たせたのも初めてであった。(R&m2005.6ほか)
この10系客車の軽量構造の考え方は、その後の電車・気動車を含む国鉄の旅客車両設計に大きな影響を与えたという意味で画期的であった。
10系客車の中には、側開扉が全部シャッター式で3軸ボギーを履いた荷物車カニ38形が製作されている。このシャッター式側開扉は、後の20系の電源車の荷物扉にも採用された。
生産技術
<車体軽量化>
従来の鉄道車両の構造では、土台となる「台枠」に強度の相当部分を負担させたのに対し、10系では台枠中央部全長を貫通していた中梁を省略し、車体全体で垂直荷重および車短圧縮荷重を負担する「張殻構造(モノコック構造)」(*補注参照)を採用した。
車体は、台わく、側構体、および屋根構体を、一体の管状構造になるように形成し、荷重を受けた際、全断面で変形を防ぎ、全体が一種のはり構造として有効に働くようになっている。
台枠の部材は、重い形鋼の加工品から、曲げ加工した鋼板に置き換えられて軽量化と工数の低減が図られ、また溶接技術の進歩等によって側板厚の削減(2.3mm→1.6mm)が実現するなど、車体の大幅な軽量化が可能となった。
<台車軽量化>
第二次世界大戦後盛んになった高速電車用台車の研究開発成果を受けて、プレスした鋼板部材を溶接して組み立てることで重量の大幅な軽減を実現した、軽量構造の軸ばね式台車(TR50形)が採用された。
1955年 試作車による軽量化実績:
33.5t→ 23t (31%減)
内訳
車体 9t→ 6.6t(27%減)
台車 12t→ 8t (33%減)
艤装 12t→ 8t (33%減)
時代背景
<日本鉄道車輛工業協会が進めた戦後の新技術:車両の軽量化>
1953年度から2年間、今の鉄車工の前身の日車協(「日本鉄道車輛工業協会」)が業界の共同研究として「車両の軽量化および車両製作の合理化に関する研究」と題する軽量化の研究を実施している。
戦後の新技術の目玉として車両の軽量化が業界上げて進められた時期であった。
記事
<張殻構造 余談>
張殻構造(モノコック構造)は、元来重量制限の特に厳しい航空機の為に考案されたものであり、戦後の航空技術開発禁止に伴う技術者の移籍でその理論及び設計ノウハウがもたらされ、日本の鉄道車両でも実現可能となったという側面がある。(Wikipedia)
*補注:「張殻構造」(または「モノコック構造」)を鉄道車両では「準張殻構造」(または「セミ・モノコック」)という場合もある。
これは、航空機における張殻構造と比べ、ドアや窓などの開口部を大きく取る鉄道車両の車体構造は、外の殻だけではなく、支えの梁や柱により側枠を補強する構造とするためである。