日本の鉄道創業の明治5年(1872年)末には、客車計58両すべて2軸車でいずれもメトロポリタン社等イギリスからの輸入であった。
明治8年になって初めて2軸客車の車体が日本の官鉄神戸工場で製造され組み立てられた。
輪軸などは輸入品であったが、それ以外は国産材料で製作された(出所:「日本の客車」鉄道図書刊行会 S37年発行による)。当時の車両は、車体が木製であり、車輪の輪心も木製であった。
記事
<台車コラム1> 当初の鉄道車両用台車: 鉄道車両の台車は、イギリスにおけるその黎明期に馬車の揺動防止機構を援用する所から出発している。
2軸単台車と呼ばれる2対の輪軸と車体との間の位置関係が基本的に固定された最も原始的な構造である。
輸送力増強の要請に対しては、2軸単台車のままでの車体および軸距の延伸や、荷重増大に対処すべく1軸を2軸間に追加した3軸単台車化も存在した。これらの対処法もまた馬車の発達に倣って展開したものであるが、急曲線の通過性に難があった。