1972年に発生した北陸トンネル火災事故を機に、火元となりうるディーゼルエンジンを客室の床下に置いた分散電源方式は、防火安全対策上において問題があるとされ、14系の製造は中止された。
これを受けて車体の基本構造は14系を踏襲しつつ徹底した防火対策を施し、従来の20系と同様に独立した電源車から客車へサービス電源を給電する「集中電源方式」を採用した寝台客車が本系列である。
25形客車は24形のマイナーチェンジ形式である。
製造当時、間近に控えていた山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間の延長開業によって寝台特急の利用客が減少することを見越して、定員を減らし居住性を改善するため、B寝台車がそれまでの3段式寝台から2段式寝台に設計変更された。
1974年(昭和49年)4月に「あかつき」と「彗星」の一部に初めて投入、その後徐々に3段式B寝台を淘汰していく。
1974年に製造を24系25形へ移行したため、24形グループの発注は1回だけで打ち切られ、製造両数は118両であるが、25形は415両で本系列のトータルは533両。これは20系を超えて寝台特急を代表する系列である。
生産技術
24形: 車両の外観や設備、台車、CL形自動ブレーキなどの仕様は概ね14系(寝台車)に基づいている。
車内設備は基本的には14系と同等ではあるものの、寝台の枠をFRPからアルミに変更するなど難燃化が徹底している。
特徴のひとつとして、編成の海側・山側両方に電源用三相交流補助回路の引通しを設け、編成全体の通電容量を考慮した設計としている。このため14系や12系といった分散電源方式の客車とは原則として混結できない。
25形: 2段寝台化による定員減を少しでも抑えるべく、トイレの配置を一区画縦にし、更衣室も撤廃して1列(2名分)のスペースを捻出し、オハネ24形とオハネ25形を比較した場合で1両当り1列多い17列にしている。
外観では、24形が白帯塗装に対し、塗装工程省力化の見地から、25形は製造当初よりステンレス帯となった。
定員が減ったため、冷房装置の能力も少し落としている(AU77形、10000kcal/h×2台)。
<電源車>: マヤ24形(→カヤ24形): 1973年に登場、日本車輌製造・富士重工業・新潟鐵工所で10両 が製造された。
インタークーラーターボ付きディーゼル機関DMF31Z-G形 (430ps/1200rpm) と発電機DM95形 (300kVA) を組み合わせた発電装置を2基搭載。三相交流60Hz/440Vの電力を全車に供給する。
他にカニ24形がある。
記事
のちに、改造により個室寝台車が生まれた。個室寝台車は、「あさかぜ」、「富士」、「北陸」、「トワイライト」、「北斗星」などで用いられた。
また、電車の食堂車を改造してスシ24形がつくられた。