スハ32形客車の改良型として、1930年代後半より各車種が製造された、鉄道省(のちの国鉄)制式20m級鋼製客車である。
1939年から1943年と1946年から1948年にかけて日本車輌、日立製作所、汽車製造、川崎車輛、田中車輛(後の近畿車輛)、梅鉢車輛(元、梅鉢鐵工所、後の帝国車輛→東急車輛→総合車両製作所)、新潟鐵工所、それに小倉、大宮、大井、鷹取の各国鉄工場で合計1,301両が製造された。
本形式は、量産が戦前と戦後にまたがって長期に渡って継続された結果、その車体構造は製造時期によって大きく異なったものとなった。
特に戦後形では大きな変化が見られ、1946年(昭和21年)度発注分はほぼ戦前と同一の仕様が、以後は製作の容易化などを目的として順次仕様変更が行なわれた。
生産技術
車体構造面では、台枠などを中心に過剰な補強材の省略が進んで軽量化され、かつ従来リベット接合が多用されていたその組み立てについても溶接への移行が進むなど、スハ32形の基本構造に従いつつ全面的な設計の見直しが実施されているのが特徴である。
側窓は、従来600mm幅が標準であったが、新たな標準としての1,000mm幅に変更されている。
台車は、戦前製造グループについてはスハ32形の設計を踏襲しペンシルバニア形軸ばね式台車で、2軸ボギー車はTR23、3軸ボギー車はTR73を装着する。
しかしその後、乗り心地の改善を目的として軸ばねを複列化し、側枠全体を一体鋳鋼製としたウィングばね式鋳鋼台車であるTR40に移行した。
記事
同系統の車両群
・展望車
スイテ37形(元、スイテ37050形)
・寝台車
マイネ40形
・食堂車
マシ38形(元、スシ37850形)
・郵便・荷物車
スハニ32形(元、スハニ35750形)等