鉄道省(のちの国鉄)が1929年から製造した20m級鋼製客車の形式群である。
スハ32600形は、本系列の基本となる三等座席車で、汽車製造東京支店、日本車輌製造本店・支店、川崎造船所/川崎車輛、藤永田造船所(後の三井造船)、新潟鐵工所、梅鉢鐵工所(後の帝国車輛→東急車輛→総合車両製作所)、田中車輛(後の近畿車輛)、大阪鐵工所(後の日立造船)において、1929年から1931年にかけて合計158両(スハ32600 - 32757)が製造された。
生産技術
スハ32形以降の客車台枠は、最初の鋼製客車のオハ31形を完成後に実施された荷重試験で、必ずしも台枠を魚腹形とする必要はないことが判ったことから、原則的に溝形鋼を用いた、単純で軽量な長形台枠に変更された。それと同時に、車体長は等級・用途を問わず、すべての車種で20mに統一された。
初期に製造された車両では、屋根は二重屋根となっていた。
1931年に製造された初の三等寝台車である30000形(のちのスハネ30形)において車両限界を最大限活用し上段寝台のスペースを確保する目的で丸屋根が必然的に採用され、同形式の製造過程で屋根製造にかかる工数とコストの削減が確認された。この結果他の車両についても増備車は丸屋根とすることとなり、1932年以降の新造車はすべて丸屋根に変更となった。
また、1934年度以降新造のグループでは溶接技術の進歩や台枠の設計変更でリベットの使用本数が大幅に減少した。
台車は、ペンシルバニア形と呼ばれる鋳鋼製軸バネ部と一般的な形鋼による側梁を組み合わせた簡潔な構造の軸ばね式台車が新たに設計された。これらは2軸ボギーがTR23、3軸ボギーがTR73とされた。
台車枠側面の大型部品であった釣合梁が廃止された。このため、摩耗部品であるブレーキシューの交換が容易となったほか、ばね下重量の軽減によって軌道破壊を抑制できるメリットがあった。
時代背景
台車は、オハ31形では球山形鋼と呼ばれる特殊な断面の鋼材を使用する釣合梁(イコライザー)式のTR11(2軸ボギー式)およびTR71(3軸ボギー式)が採用されていたが、用途の限られる球山形鋼の入手が困難となり、全面的に台車構造を変更する必要が生じた。
そこで、スハ32形のTR23には、一般的な型鋼を用いる設計が成された。
記事
同系統の車両群
・寝台車(二重屋根車)
マイネ37130形 → マイネ38形
マイネロ37260形 → マイネロ37形等
・食堂車(二重屋根車)
スシ37740形(スシ37形)
マイシ37900形→マロシ37900形(マロシ37形)等
・郵便・荷物車(二重屋根車)
スハニ35650形(スハニ31形)
マニ36700形(マニ31形)等