大正時代末期の1926年(大正15年)9月23日午前3時30分に山陽本線 広島県安芸中野駅 - 海田市駅間で発生した列車脱線事故で死者34名を出した大事故である。
原因は、9月11日の集中豪雨やその後の豪雨による川の決壊、築堤の崩壊で線路が壊されていたため。
鉄道関係者は、木造車体の脆弱性をあらためて認識することとなり、以後日本で新造される客車が鋼製に切り替わることとなった。
この事故を起こした特別急行第1列車(事故後の1929年に「富士」と命名)は、下関駅から関釜連絡船を介してアジア及びヨーロッパを連絡する国際連絡運輸の役割を担う日本として重要な列車であった。
鉄道省は翌昭和2年度(1927年)の車両新造計画から木造客車の枠を抹消し、車体を鋼製としたオハ31形などに切り替えることとなった。
生産技術
28977号蒸気機関車(18900形、後のC51形178号機)が11両の客車(22000系・28400系)を牽引していたが、機関車と客車6両(下記朱色太字)が脱線・破損した。
機関車28977−客車オニ27872 / オニ27880 /- スロネ28504 / スロネ28502 / スロネ28501 / スロ29006 / スロ29002 / オシ28607 / オイネ28108 / スイネ28124 / オテン28070