1925

自連改造

記事番号P130

 鉄道院は1919年(大正8年)から全国の機関車・客貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねられた。
 1925年(大正14年)7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の一日を一斉交換日とした。本州が主に7月17日、九州が7月20日である。
 交換日当日、連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。
 この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3,200両、客車が約9,000両、貨車に至っては約46,000両に上る。(Wikipedia)

時代背景

 日本では19世紀の鉄道開業時にイギリスの技術を導入したことにより、ねじ式連結器が明治から大正末期まで標準として使用されていた。
 ただし北海道のみはアメリカからの技術供与を受けて鉄道が発展したため、当初からシャロン式やアライアンス式、あるいはクライマックス式といったアメリカ製の自動連結器を多数採用しており、一部存在したねじ式連結器装備車も1909年(明治42年)までに自動連結器化されている。

記事

 それ以前の、ねじ式連結器は、連結・解放作業に手間と時間がかかった。また、狭い場所での作業となり、連結手の死傷事故撲滅が課題であった。特に狭軌の日本の鉄道においてはバッファー間隔が狭く、非常時の逃げ場がない。