1955年7月20日に製造された日本初の交流電気機関車である。製造は、日立水戸工場。
1955年8月10日、国内初の交流電化実験線区となった仙山線陸前落合 - 熊ヶ根間で各種試験を行うために試作された交流電気機関車である。
商用周波数単相交流電化の実用化において先行していたフランスから機関車を輸入するため折衝した。しかし、国鉄が試験用としての最小両数の輸入とする方針だったのに対し、フランス側は継続的な輸入を要求したことから交渉は決裂。このため日本国内で交流電気機関車を開発することになり、製造されたのがED44形とED45形である。(Wikipediaほか)
生産技術
直接式交流機関車で直流電気機関車の抵抗制御器を低圧タップ切換器に置き換え、交流整流子電動機を釣掛式で駆動する。
50Hzという高周波数の交流電動機の製造経験がなく、直流機の4倍の磁極を入れることで端子電圧を下げている。
主電動機は日立のほかに東洋電機製造・富士電機でもそれぞれ2基ずつ製造し、各メーカーのものを乗せ換えながらテストを行った。
台車は後年の交流機でも問題となる軸重移動の問題が当初より考えられたことから、車体から伸ばした脚に板ばねで台車枕ばねと接続し、レール面に近い位置で引張力を伝えることで台車のピッチングを抑えて解決を図った。
直接式のED44形は、起動トルクが弱く引き出し力ともに加速力が整流器式のED45形に劣り、また、交流電動機の整流用ブラシの接点を1運用ごとに磨く必要が出るなど、多数の問題が出たため、その後の製造は整流器式を用いることとなった。
時代背景
1953年に日本全国で幹線電化を進めるにあたって、変電所が少なくでき建設費を抑えられる商用周波数による交流電化方式が着目された。1955年に仙山線で試験を実施、1957年9月5日に仙台-作並間で営業運転が開始された。この後、旧・日本国有鉄道の新規電化区間のうち、北海道、東北、九州の各地方および茨城県内と北陸本線で交流電化(一部区間を除く)が採用された。
記事
主要仕様
・軸配置 B-B
・連続定格出力 1120kW(MT950A×4)
・歯車比 5.81
・最高速度 65km/h
・質量 60t
・制御方式 低圧タップ切換、イグナイトロン位相制御、弱め界磁制御
・整流子電動機式