1946年から出場した初期のEF58形旅客用直流機関車の改良版。1952年から1958年にかけて新規製造された35号機から175号機までの141両、および初期型の台車・一部機器を流用して1953年から1957年にかけて新造グループ同様の車体・性能に改造された1号機から31号機である。「新EF58形」とも呼ばれ、一般にEF58形と言えばこの形態を指す。
1952年に完成した高崎線電化によって上野 - 長岡間 (270km) の連続電気運転が可能となった。上越線直通の長距離列車牽引では上野-長岡間のロングラン運用も想定され、これに対処できる新たな旅客用電気機関車が求められた。さらに、東海道本線の全線電化の見込まれ、将来に亘って旅客用電気機関車の需要が見込まれたため、新型の電気機関車として開発された。(Wikipedia)
生産技術
F級機関車でデッキ無しとして全長に渡る車体を載せたのは、日本ではEF58形が最初である。結果としてはデッキ付車の車体が14m級だったのに対し、全長19m弱に達する長大な車体となった。
車両限界をクリアするため、先輪上に当たる運転台部分は車幅が徐々に狭まる形となり、車体の長大さを強調することになった。車幅2800のところ、車端部は2300mm程度に抑えられている。
EF58形は、日立製作所、東芝、三菱電機、川崎車両、汽車製造、日本車輌の各所にて車体の製作が行われた。これらの製作所で製造された各車においては、当然、装備の仕様共通化は図られており、目立って大きな差異はないものの製造メーカーにおける特徴のある部分がいくつか見られる。
改良型の本形式に搭載されたのは、新たに開発された自動制御の水管式重油ボイラー「SG1形」である。EF56形・EF57形の煙管式ボイラーよりも高効率化され、かつ乗務員のボタン操作のみで簡単に扱えるという画期的なボイラーであった。開発にあたっては、汽車製造会社技師の高田隆雄の主導でアメリカのALCOとの技術提携が図られ、自動式車載ボイラーの技術が導入された。
パンタグラフは電気機関車用として正式に設計された空気圧上昇式のPS14形となった。
電装品の規格は戦前同様の良質な水準を回復し、高速度遮断器をはじめとする安全策も十分に取られている。 主電動機は新開発のMT42形となった。
(Wikipedia)
時代背景
日本は1950年の朝鮮戦争勃発を機に新たな経済成長期(神武景気)に入っており、また1951年のサンフランシスコ講和条約によって進駐軍の支配を脱したことで、国鉄も自律的な経営方針を採ることが可能となっていた。このような情勢から同年より新型電気機関車の開発が開始され、1952年初頭よりEF58形として順次落成した。
記事
主要仕様
・軸配置 2C+C2
・1時間定格出力 1900kW(MT42×6)
・歯車比 2.68
・最高速度 100km/h
・質量 115t(蒸気暖房)、113t(電気暖房)
・制御方式 抵抗制御、3段組み合わせ制御、弱め界磁制御