1937

戦前、戦中、戦後の長期大量に生産 代表的貨物機関車 D51形

D51形、C61形

記事番号J620

 D51形蒸気機関車は、国鉄の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダ式蒸気機関車である。
 主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、合計で1,000両を超えており、日本の機関車1形式の製造両数では最大を記録した。 いわゆる「デゴイチ」であるが、「デコイチ」という愛称もある。
 輸送需要の増大により新形の貨物用機関車が求められた。そこで1936年から製造されたのが本形式である。最大動軸重を14.3 tに引き下げ、これによりD50形では入線が困難だった丙線への入線が可能とされた。C11形のボイラーで実用化された電気溶接技術を応用して製造され、当時の設計主任である島秀雄は「多くの形式の設計を手掛けた中でも、一番の会心作」として同形式を挙げている。(Wikipedia)
 C61形は、戦後、D51形からの改造車で、C57形相当の乙線規格の機関車。

生産技術

 広火室構造のストレートボイラー、棒台枠の採用などの基本設計は、D50形と共通である。
 また、リベット接合部を電気溶接で置き換えるなど、構造と工法の見直しを行って軸重の軽減と全長の短縮を実現し、全国配備が可能となった。
動輪輪芯は箱形化(このボックススポーク動輪は、その後の標準となっている。)され、形態的には同時期設計のC57形との共通点が多い。

<形式:D51形>
・軸配置・機関車形態:1D1形テンダ機関車
・製造会社:川車・汽車・日立・日車・鉄道省工場
・製造年度・両数: 1935〜1950年・1,184両
・質量:78.37t(運転整備)
・動輪直径:1400mm

時代背景

 国鉄形蒸気機関車の中でも残存した両数の多さと、知名度の高さにより、「代表機」、「代名詞」などと謳われることもあるが、実際には重量貨物列車牽引においては動軸重配分が悪く、上り勾配での牽き出し時に空転しやすいとか、車体長短縮のため、居住性を犠牲にして運転台を小型化するなどの問題もあった。その広範な運用と知名度は、戦時体制に伴う貨物機大量需要から来た膨大な量産の結果ともいえる。(Wikipediaに基づく)

記事

 量産を進める段階で国内情勢が戦時体制へと突入し、貨物機である本形式に対する需要が非常に大きくなったため、国内の大型機関車メーカー5社と国有鉄道の工場(工機部)のうち8工場が製造に参加し、1936年から1945年(昭和20年)までの間に1,115両もの多数の車両が製造されることとなった。
 これらの他、戦前から台湾総督府鉄道向けに製造されたものが32両(1944年製の5両は、一時的にD51 1162 - 1166として借入使用された)、戦後にソビエト連邦サハリン州鉄道向けに輸出されたものが30両、国連軍に納入されたものが2両、さらに1951年に台湾鉄路管理局向けに輸出された5両が存在する。これらを合わせると、D51形は1,184両製造されたことになる。(Wikipedia)

  • D51形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • D51(標準形)
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • C61形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)