1932

C51形の増備車両   C54形

C54形

記事番号J590

 C54形蒸気機関車は、1931年(昭和6年)に製造された国鉄(製造時は鉄道省)の亜幹線旅客列車用中型テンダ式蒸気機関車である。
 1928年(昭和3年)で製造終了となったC51形の後継機であるC53形は、自重・軸重共に大きく、東海道本線や山陽本線といった幹線にしか投入できなかった。
 C51形と同等の牽引力を備え、なおかつ動軸重を1ランク落として14t以下に収め、丙線規格の路線でも運用可能とした軽量級パシフィック機を新規開発し投入することとなり、C51形を設計した朝倉希一の直弟子である島秀雄を設計主任として、本形式が開発された。
 C51形での長期試験の成果を反映し、日本の機関車としては初めて除煙板(デフレクター)を新製当初から装備するようになっている。(Wikipedia)

生産技術

 設計当時、冶金技術の向上等によりボイラー性能も向上し、C51形のボイラーと寸法等を踏襲し同じにしながら、使用蒸気圧力を13kgf/cm2から14kgf/cm2へ向上した。
 C51形の板台枠を踏襲しつつ設計段階で軽量化を目的に無理をした結果、この台枠に強度不足の箇所があり、後年台枠亀裂で車両寿命を著しく縮める一因となった。

<形式:C54形>
・軸配置・機関車形態:2C1形テンダ機関車
・製造会社:川車、汽車 
・製造年度・両数: 1931年・17両
・空車質量:65.3t
・動輪直径:1750mm

時代背景

 本形式が設計された1931年前後の時点では昭和恐慌のため国家財政は極めて深刻な状況にあった。全国に張り巡らされた亜幹線各線の線路規格を底上げするのは、新線の建設に当たって丙線より更に低規格な簡易線規格を制定せざるを得ないほどに厳しい財政状態の下ではあまりに非現実的であった。そこで丙線で運用可能なC51形の後継・派生機種が新製投入されることとなった。(Wikipedia)

  • C54形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)