1914

大正時代の代表的国産 客貨両用機関車 8620形

8620形

記事番号J510

 鉄道院の急行旅客列車用の機関車としては、1911年から導入が進んだ8850形などの大形の2C形テンダ機関車が用いられていたが、国産機関車の生産技術が確立し、軌道にのってきたことを受けて、1913年に急行及び一般旅客列車用の1C形テンダ機関車8620形が設計された。
 かつて1C形テンダ機関車は、貨物列車用と位置付けられていたが、過熱蒸気を用いることで蒸気使用量が減るため、ボイラ容量を小さくして機関車質量を減らすとともに、2C形と同様の高速度列車に適した先輪と第一動輪とを心向棒で結合させて、ボギー台車に似た動作をさせる構造を採用していた。
 この先台車と第1動輪の関係は、設計者である島安二郎の名前から島式と命名されたが、8620形のみの採用に終わった。
 製造は、当初、汽車会社が一手に行っていたが、1920年に日立製作所、1921年に川崎造船所、1922年に日本車輌、1924年に三菱造船所が加わり、鉄道院向けだけで合計687両が導入された。 

生産技術

 Schwarzkopff製の8800形を参考に動輪直径、シリンダ、固定軸距及び割り付けなどは、同一としていたが、第1動輪が横動する構造のため、半径80mの曲線通過も容易であった。

<形式:8620>
・軸配置・機関車形態:1C形テンダ機関車
・製造会社:汽車会社(384両)、日立製作所(137両)、川崎造船所(686両)、川崎造船所(93両)、日本車輌(57両)、三菱造船所(11両)
・製造年度・両数:1914〜1922(687両)
・機関車質量:46.8t(軸重13.5t)
・動輪直径1600mm
・記事:過熱蒸気式

 上記の数量には、旧樺太鉄道から編入された15両[汽車会社(5両)、川崎造船所(10両)]を含めている。

記事

<国産化機関車メーカの増加>
 当時、汽車会社と川崎造船所を除いては、鉄道院向け蒸気機関車の製造経験がなく、8620形の登場で、日立製作所、日本車輌、三菱造船所が参入することとなった意義は大きい。1913年度末近くに工作用標準鉄材の規格が制定され、使用する部品も統一されるなどの標準化が図られたとともに、製作においても鉄道院の厳密な監督が各工場にとって製造技術の発展を助成したといわれている。

<8620形の付番>
 8620形は、多くの両数が生産されたため、従来の機関車番号の付け方では、8700形がすでに存在しているため、8620号機から8699号機までの80両しか処理できない状態であった。
 そこで、新たな機関車番号の付け方として、8620形は、81両目を18620号機、161両目を28620号機と80両増えるごとに1万の桁の数字を繰り上げる方法で機関車番号を付けることとなった。
 すなわち、1両目8620、・・・80両目8699、81両目18620、・・・160両目18699、161両目28620、・・・ということになっている。

  • 8620形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)