1914

国産、急勾配用機関車 4110形

4110形

記事番号J500

 4100形の好成績を受け、同系機関車30両を国産で増備することとなり、川崎造船所で設計・製造をおこなった4110形が導入された。基本仕様は、4100形を踏襲しているが、4100形で得られた経験を基に、ボイラの改良を行い、水タンク容量、機関車質量がわずかに増加した。
 4100形の火室は、動輪の間に設けた狭火室であったが、火格子面積を大きくするために幅を広げた火室を動輪の上に配置し、それに伴ってボイラ中心位置が高くなるため、機関車の重心を下げるために、ボイラ側面の水タンクを4100形の下半分程度の大きさにするとともに、ボイラの腹側にも2個の水タンクを設けた構造としている。これらの4110形は、奧羽本線の福島−米沢間および鹿児島本線(現在の肥薩線)の人吉−吉松間の勾配線区に投入された。

生産技術

 E形軸配置のため、4100形と同様に第1軸及び第5軸が左右に動く構造を採用していた。

<形式:4110>
・軸配置・機関車形態:E形タンク機関車
・製造会社:川崎造船所
・製造年度・両数:1913年(15両)、1914年(15両)
・機関車質量:65.3t(軸重13.4t)
・動輪直径1250mm
・記事:過熱蒸気式、広火室構造

 なお、汽車会社においても、4110形とほぼ同形のE300形を1915〜1919年にかけて11両を台湾総督府鉄道部に納入したほか、三菱神戸造船所は、三菱鉱業美唄鉄道向けに3両の同系機を納入している。

時代背景

 奧羽線の福島・米沢間の板谷峠は、信越線の碓井峠に次ぐ急勾配線の難所であったため、碓井峠が1912年に電化されたことに続けて、板谷峠の電化が唱道されていた。
 しかし、4100形の高成績を受けて、4110形が量産されたことによって、板谷峠の電化は、1943年まで待つこととなった。

  • 4110形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)