1912

国内初のE形タンク機関車 ドイツ製 4100形

4100形

記事番号J470

 奥羽線の輸送力増強のネックとなっていた庭坂・米沢間の33.3‰急勾配区間用として、E形軸配置のタンク機関車を試用することとなった。
 機関車の国産化を進めていた鉄道院であったが、E形軸配置は、我が国で初めての形式であり、粘着によって急勾配の登坂するため、勾配線用機関車の製造を得意とし、1902年に大阪博覧会に4500形マレー式タンク機関車を代理店を通して出品していたMaffei社にて4両を製作することとなった。
 当時、勾配線区用機関車の多くに採用されていた反圧制動を採用せずに、ブレーキシューのみで減速する方式としたため、ブレーキ時の発熱で車輪が緩むことのないように、水を掛けて車輪を冷却する装置を備えていた。
4100形は、8850形と同様に川崎造船所で詳細に調査を行い、後の国産量産形機関車4110形の礎となった。

生産技術

<形式:4100>
・軸配置・機関車形態:E形タンク機関車
・製造会社:Maffei(ドイツ)
・製造年度・両数:1912年(4両)
・機関車質量:62.1t(軸重13.2t)
・動輪直径1250mm
・記事:過熱蒸気式

 E形軸配置のため、全軸距が5792mmと長いため、ゲルスドルフ式を採用することで、第1軸及び第5軸が左右に29mm動く構造を採用していた。

時代背景

 臼井茂信著 国鉄蒸気機関車小史によれば、官営鉄道がドイツから機関車を輸入するようになったのは日露戦争の頃からで、始めは価格が安かったことからであるが、明治末期からはドイツの製造プラクチスを知るために積極的に購入したとされ、また、4100形は優秀な成績をあげ、輸送力を5割以上増加するとともに乗務員の苦労もなく、その頃に同区間の電化が唱道されていたのが立ち消えになったといわれている。

記事

<J. A. Maffei社>
1835年にドイツ初の鉄道が開業した後、ヨーゼフ・フォン・マッファイらが、機関車の国産(バイエルン王国)化を目的として1837年にミュンヘンのヒルシュアウで創業した。1841年にはイギリスから招聘されたジョーゼフ・ホールの指導によって、同社の初の機関車となるデア・ミュンヒェナー号を完成させた。1890年には、アナトール・マレーによって開発されたばかりのマレー式機関車の製造を開始している。新規市場開拓として、当時、実績があったB+B形マレー式機関車を狭軌用として試作し、1903年に大阪の天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会へこれを出展した(4500形の項目を参照)。

  • 4100形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)