1911

2C形幹線用大形旅客用機関車 8700形、8850形

8700形、8800形、8850形、8900形

記事番号J420

 飽和式か過熱式か、将来の国産機の方向を定めるため、英国から飽和式蒸気を用いる2C形テンダ8700形、ドイツから過熱式蒸気を用いる2C形テンダ機関車8800形及び8850形、アメリカから過熱式蒸気を用いる2C1形テンダ機関車8900形を輸入した。
 これらの機関車は、鉄道院が基本仕様書を成案し、それに準じて海外メーカが機関車本体を製作し、炭水車は国内で製作した。8700形は汽車会社で、8850形は川崎造船所所で、それぞれを詳細な寸法を測定し、模倣製作を行った。
 特に過熱式を採用した8850形は、その後の方針となり、ドイツ製品の工作精度など学ぶべき点が多く、国内の機関車製造技術の向上につながった。
 8900形は、これらのなかで最も大きな機関車で、世界的にも採用されつつあった火室が大きくとれる2C1形軸配置を採用していた。この軸配置は、後の18900形に受け継がれることとなった。

生産技術

<形式:8700>
・軸配置・機関車形態:2C形テンダ機関車
・製造会社:North British(12両)、汽車会社(18両)
・製造年度・両数:1911年(12両)・1912年(18両)
・機関車質量:49.1t(軸重12.5t)
・動輪直径1600mm
・記事:飽和蒸気式、板台枠を採用

<形式:8850>
・軸配置・機関車形態:2C形テンダ機関車
・製造会社:Borsig(12両)、川崎造船所(12両)
・製造年度・両数:1911年(12両)・1913年(12両)
・機関車質量:54.0t(軸重13.1t)
・動輪直径1600mm
・記事:過熱蒸気式、圧延鋼板切抜式棒台枠を採用

時代背景

 1905年の日露講和条約の両国間の連絡運輸についての条項によって、1910年までにアジアとヨーロッパとを結ぶ鉄道連絡の協定が成立した。
 これを受けて、鉄道院では東京−下関間に国際特急列車を走らす必要があり、従来の機関車では速度・けん引力ともに問題があるため、2B形と同様の大きな動輪をもった2C形テンダ機関車が必要となった。しかし、当時国内にこのような機関車の経験がなく、海外の大手機関車メーカへの発注となった。

記事

<形式:8800>
・軸配置・機関車形態:2C形テンダ機関車
・製造会社:Berliner(ドイツ)
・製造年度・両数:1911年(12両)
・機関車質量:51.6t(軸重12.7t)
・動輪直径1600mm
・記事:ドイツ国鉄の急行用標準機関車と似た外観

<形式:8900>
・軸配置・機関車形態:2C1形テンダ機関車
・製造会社:Alco Brooks工場(24両)、Alco Richmond工場(12両)
・製造年度・両数:1911年(24両)・1912年(12両)
・機関車質量:62.4t(軸重13.3t)
・動輪直径1600mm
・記事:鋳鋼製棒台枠を採用

<August Borsig社>
鉄道に関心を寄せていたアウグスト・ボルジッヒは、当初、機関車用の機械工場を設立し、1837年に最初の鋳造が成功した。また、1840年には、初の機関車となるは、2A1軸配置のBORSIG号を完成させ、ベルリン-ユータボーク間の鉄道でジョージ・スチーブンソンが造った機関車との競争が行われ、ボルジッヒの機関車は10分差で勝利した。この結果、イギリスから機関車の輸入がもう不要なことを示すこととなり、ドイツ国内からの注文が急速に増大した。後にボルジッヒは、ヨーロッパ最大、世界でも第2位の蒸気機関車メーカーとなった。

<Berliner Maschinenbau AG社>
1852年にルイス・ヴィクトル・ロベルト・シュヴァルツコップによってL. シュヴァルツコップ鋳物・機械工場として設立された。1867年には、同社初の機関車をニーダーシュレージッシュ・メルキッシェ鉄道に納入した。 1870年にBerliner Maschinenbau-Actien-Gesellschaft vormals L. Schwartzkopffに改名した。

  • 8700形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • 8700形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • 8800形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • 8850形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)

  • 8900形
    出所:「100年の国鉄車両」(株式会社 交友社)