1909

鉄道用品協同販売組合の設立

記事番号J400

 1909年に川崎造船所、汽車会社、日本車輌の3社によって、共同受注と適正配分を目的とする「鉄道用品協同販売組合」が設立され、鉄道院からの注文は、この共同販売組合で受注し、3社で分配して製作を行うこととなった。
 このため、鉄道院の機関車、客車、貨車の規格統一が必要となり、鉄道院と車両製造会社は、共同して規格統一に取り組んだ。
 しかし、1912年には、鉄道院の自社工場はもっぱら修繕を行い、新造車両は民間会社に委託することとなったため、川崎造船所、汽車会社、日本車輌、天野工場の4社が指定工場となり、鉄道用品協同販売組合は解散することとなった。

生産技術

 こうした販売組合としての形態は、現在の視点では経済的に問題が指摘される内容に関わる恐れがある一方、日本の技術、そして経済発展の礎となる規格化・標準化への取組みの起点となったことは評価に値する。
 後の日本国有鉄道に至るまでの長い間継続してきた国鉄と民間会社との共同設計体制による技術の共有化、車両の標準化・規格化は、ここに始まったと考えられる。

時代背景

 1905年の日露戦争終結後、国内は、戦中、戦後の好景気の反動が生じて不況が訪れ、一方海外においても、1905年、1909年とニューヨークおよびロンドンの金融恐慌が日本にも衝撃を与え、ますます国内の経済界が沈滞している状況であった。