山陽鉄道は、動輪直径1524mmの5060形、950形に引き続き、1897年に長距離急行列車にも使用できる2B形テンダ機関車5900形を導入し、全ての旅客用機関車を大きな動輪をもつアメリカ製に統一した。5900形の増備のため、のちに5950形、6120形、6050形のアメリカ製2B形テンダ機関車が導入された。
一方、関西鉄道は、1898年に名古屋〜大阪間を直通運転するため、2Bテンダ機関車6500形を導入し、「早風」と愛称とつけた。同社の汽車課長であった島安次郎は、「早風」に当時日本最大の動輪直径となる1575mmを採用するとともに、高速機関車にふさわしい2シリンダ複式機関を採用した。鉄道作業局や九州鉄道においても、同系統の機関車が続々と導入されていった。
生産技術
<形式:5900>
・軸配置・機関車形態:1B形テンダ機関車
・製造会社:Baldwin(米国)
・製造年度・両数:1897年(18両)・1901年(10両)
・機関車質量:34.4t(軸重11.9t)
・動輪直径:1524mm
・記事:前部標識灯は蒸気で発電した電気で点灯
<形式:6500>
・軸配置・機関車形態:1B形テンダ機関車
・製造会社:Pittsburgh(米国)
・製造年度・両数:1898年(6両)
・機関車質量:36.6t(軸重11.8t)
・動輪直径:1575mm
・記事:4シリンダ複式機関車
時代背景
山陽鉄道は、1894年から長距離急行列車の運転を行い、急行列車の高速化に取り組み、神戸〜下関間の全線が開通した1901年には、日本初の優等列車「最急行」を走らせていた。
また、関西鉄道は、1898年に名古屋〜大阪間が全通するとともに急行列車の運行開始し、同社の技師であった島安次郎たちによって、先進的な車両技術が試みられ、急行列車の高速化を図り、官営鉄道の東海道線と壮絶な旅客獲得競争を繰り広げていた。
記事
*5900形、6500形と同系統の2B形テンダ機関車
5700形 Schenectady(米国) 1897〜1906年(59両)
5800形 Baldwin(米国) 1905年(3両)
5860形 Brooks(米国) 1898年(3両)
5950形 Rogers(米国) 1898年(11両)
6000形 Alco. Pittsburgh(米国) 1906年(12両) 関西鉄道では「追風」の愛称で呼ばれた。
6050形 Schenectady(米国) 1903〜1905年(6両)
6100形 兵庫工場(山陽鉄道) 1903〜1905年(6両)
6120形 Schehectady(米国) 1900年(8両)
6150形 Baldwin(米国) 1897年(18両)
6400形 Schenectady(米国) 1902年(30両)
*上記機関車を小形にした2B形テンダ機関車
5160形 Brooks(米国) 1898年(20両)
5200形 Alco. Pittsburgh(米国) 1897年(2両)
山陽鉄道は、開業当初は官設鉄道と同様にイギリス製の蒸気機関車を輸入したが、1893年からはアメリカ製機関車の導入を積極的に進め、特に低圧と高圧の各2気筒で動輪を駆動するヴォークレイン複式機関車を好んで採用した。
臼井茂信著 国鉄蒸気機関車小史によれば、6400形は、官営鉄道が英国と米国に同一仕様書をもって入札を実施した最初の機関車で、Schenectadyの価格は、英国メーカの最低価格に比して2割2分安価であったと言われている。