自社の汽車課長、岩崎彦松の設計と製作指導のもと、700形を基本に、独自の設計を加えた850形を製造した。
この850形の製造によって、兵庫工場は、神戸工場(鉄道作業局)、手宮工場(官営幌内鉄道)についで、国産機関車の製造できる工場となり、その後も、同工場は多くの機関車の改造に取組み、機関車製造技術を高めていった。
生産技術
<形式:850>
・軸配置・機関車形態:1B1形タンク機関車
・製造会社:兵庫工場(山陽鉄道)
・製造年度・両数:1896年(1両)
・機関車質量:37.6t(軸重12t)
・動輪直径:1321mm
・記事:質量、ジョイ式の応用形の弁装置、使用蒸気圧力を除き、700形に準じた構造であった。
時代背景
全国に幹線の延びるとともに、地方鉄道が多数作られていたため、これらの鉄道へ車両を国産で供給するべく、1896年には汽車製造会社、川崎造船所、日本車輌、天野車両、1899年には梅鉢鉄工所などの民間の車両製造会社が設立された。
記事
1880年に操業開始した官営釜石製鉄所を譲り受けた田中長兵衛が1886年に始めて銑鉄の製造に成功するなどの動きはあったが、まだ当時は、国内に大きな製鉄工場もなく、部品、鋼材なども輸入に頼っていたとはいえ、民間鉄道会社の工場からも既存の機関車を模して、組立が可能となるまで、技術力が上がってきたと考えられる。