日本初の国産機関車となる860形は、リチャード・フランシス・トレビシックが設計・製作指導にあたり、森彦像、太田吉松ら3人の日本人技術者の努力で1893年6月に完成した。
860形の外観、寸法は、400形の流れを継承しているが、当時、世界の先端技術であった複式機関車の技術を取り入れ、高圧側シリンダ(381×508mm)と低圧側シリンダ(572×508mm)とを左右に配置した2シリンダ複式機関車となっている。
生産技術
複式機関車とは、ボイラで発生した蒸気をまず、高圧側シリンダに送り込み、高圧側シリンダから排気された蒸気を今度は低圧側シリンダに送ることで、蒸気エネルギーを有効活用する機関車である。
上下に重ねた高圧及び低圧シリンダを左右に1組づつ配置する4シリンダ方式と860形のような2シリンダ方式があった。
<形式:860>
・軸配置・機関車形態:1B1形タンク機関車
・製造会社:神戸工場(鉄道作業局)
・製造年度・両数:1883年(1両)
・機関車質量:40.7t(軸重11.2t)
・動輪直径:1346mm
・記事:2シリンダ複式の採用
時代背景
世界各国で、蒸気機関車の高出力化が求められるにつれ、複式機関車は、蒸気を高圧シリンダと低圧シリンダの2段階に分けて膨張させるため、燃料と水を節約して高い出力が得られるとともに、トルクが平坦化されるため、乗り心地が改善され軌道への影響が少なくなると考えられていた。
記事
リチャード・フランシスは1888年に来日、お雇い外国人として主に官設鉄道神戸工場の汽車監察方などを務め、1904年まで勤務している。
そこで、日本初の国産蒸気機関車となった860形蒸気機関車の製作を指導し、その後も独特な様式を持った機関車を数種類製作している。1888年の来日以前は、セイロン国鉄で汽車監察方であった。
弟のフランシス・ヘンリー・トレビシックも鉄道技術者で、兄よりも早く1876年に来日し、官設鉄道新橋工場の汽車監察方などを歴任した。兄弟とも、日本の機関車技術の向上と定着に大きな役割を果たした。(Wikipedia)