官設鉄道中山道線(後の信越本線)の横川〜軽井沢間の碓井峠は、その地形上、スイッチバックやループ線などを設ける方法では対処できないため、66.7‰の急勾配に対応できるドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式を採用することとなり、1891年3月24日に起工、翌1893年4月1日に開通した。
これに伴い、日本初となるアプト式機関車として、ドイツから3900形C形タンク機関車を輸入した。
その後、英国から先台車を設けた3920形、先台車及び従台車を設けた3950形が輸入された後、1906年には、汽車会社の手によって、国産アプト式機関車3980形が量産され、碓井峠が電化されるまで活躍した。
生産技術
<形式:3900>
・軸配置・機関車形態:C形アプト式タンク機関車
・製造会社:Esslingen(ドイツ)
・製造年度・両数:1892年(4両)・1908年(3両)
・機関車質量:39.1t(軸重14.7t)
・動輪直径:900mm アプト用歯車直径:573mm
ローマン・アプト(スイス)によって考案されたアプト式は、位相をずらした3枚(外国では2枚の例もある)の板状のラックレールを線路の中央に配置し、常に複数枚の歯車と歯軌条が噛み合っているため、重量のある車両にも適していた。
時代背景
官設鉄道の信越線は、1885年10月15日の高崎〜横川間開業に始まり、1888年12月1日に直江津〜軽井沢駅が開業したが、残る横川〜軽井沢間は、碓氷峠と呼ばれる急勾配の難所であったため、碓氷馬車鉄道という馬車鉄道を国道5号(現在の国道18号線)の道路上に敷設して連絡を行っていた。なお、直江津〜沼垂(現在の新潟市中央区)間は、北越鉄道によって1898年12月27日に開通した。
記事
<同時代のアプト式機関車>
<形式:3920>
・軸配置・機関車形態:1C形アプト式タンク機関車
・製造会社:Beyer Peacock(英国)
・製造年度・両数:1895年(2両)
・機関車質量:54.5t(軸重14.6t)
・動輪直径:914mm
・記事:トンネルの連続から煤煙に苦しんでいた乗務員を守るため、F.H.トレビシックの考案で、機関車の全長に渡って配置したT形の煙突を採用したが、後に機関車を後進運転することとして、通常の煙突に改造された。また、後に重油タンクをボイラの上に追加した。
<形式:3950>
・軸配置・機関車形態:1C1形アプト式タンク機関車
・製造会社:Beyer Peacock(英国)
・製造年度・両数:1898年(4両)・1901年(2両)・1908年(4両)
・機関車質量:58.1t(軸重14.0t)
・動輪直径:914mm
・記事:当初から重油タンクをボイラの上に搭載していた。