政府の指導・監督のもとに幹線鉄道としての役割を果たす日本鉄道と異なる私設鉄道の形態として、1882年に日本初の都市間鉄道とした出願していた大阪・堺間の鉄道が1985年12月に阪堺鉄道として成立をした。一方、地方においても、鉄道敷設の要望があがり、地元の有力者の手によって建設がされていった。
伊予鉄道は、1987年9月に愛媛県に設立され、ドイツから機関車、客貨車を輸入して、運行を開始した。
甲1形は、伊予鉄道の最初の機関車で1888年にKrauss社から2両が輸入され、さらに1891年にも2両が増備されている。甲1形は、1930年代に1067mmに改軌された後、1954年まで使用されたが、現在は梅津寺公園に保存されている。
なお、甲1形は、夏目漱石の「坊っちゃん」に登場する坊っちゃん列車としても有名なため、松山の観光のシンボルとして、2001年に同じ外見となるように復元した機関車が新潟鉄工所(現 新潟トランシス)で2両製造した。ただし、市街地走行の環境面を考慮し、蒸気機関でなくディーゼル機関を採用している。
生産技術
板台枠の一部を仕切って水タンクとする構造を採用することで、台枠強度の向上、低重心化を図るとともに、小さな機関車にもかかわらず燃料庫容積の拡大を実現した。
<形式:伊予鉄道甲1形>
・軌間:762mm
・軸配置・機関車形態:B形タンク機関車
・製造会社:Krauss(ドイツ)
・製造年度・両数:1888年(2両)、1891年(2両)
・機関車質量:7.8t(軸重3.9t)
・動輪直径:685mm
・記事:昭和42年に鉄道記念物に指定され、伊豆鉄道梅津パーク内に保存
時代背景
1886年頃には、経済界に企業熱が高まり、紡績事業とともに鉄道事業は私設鉄道ブームと呼べる現象を起こしていた。
日本鉄道の成功を受け、1892年までに50社近い私設鉄道会社が発起したことに対して、政府は、公共事業性の性格を強くもっている幹線鉄道に該当する山陽、九州、北海道炭鉱の各社に対して、政府の指導・監督のもとにおいていたが、地方の私設鉄道に対する法規がなかったため、1987年5月に「私設鉄道条例」が制定された。
記事
<Krauss社>
1866年にゲオルク・クラウスが、ヨーゼフ・フォン・マッファイからの強い反対を押し切って、クラウス機関車工場合資会社を設立し、ミュンヘンのマースフェルトに工場を創業した。
1867年3月には、同社初となる機関車Landwuhrden号を完成させた。この機関車は、パリの万国博覧会に出品され、金メダルを獲得した。
<夏目漱石と坊っちゃん列車>
夏目漱石の小説「坊っちゃん」のなかで、次のように紹介されている[青空文庫から転載(底本:「ちくま日本文学全集 夏目漱石」筑摩書房)]。
「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」、
「やがて、ピューと汽笛が鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾勝に乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発して白切符を握ってるんでもわかる。」