1290形は、当初、官営鉄道 西部路線用に導入された日本で最初のサドル式タンク、インサイドフレームのシリンダを採用した小形の工事用機関車である。
製造された3両の内、1875年製の1両は、1882年に日本鉄道に移管し、関西から海上輸送の後、墨田川を遡って川口の善光寺付近で陸揚げを行ったため、これを記念して善光号と命名されていた。
日本鉄道の車両の歴史は、政府と密接な関係が見受けられる。
生産技術
<形式:1290>
・軸配置・機関車形態:C形サドル式タンク機関車
・製造会社:Maning Wardel(英国)
・製造年度・両数:1873年(2両)・1875年(1両)
・機関車質量:18.8t(軸重6.5t)
・動輪直径:914mm
サドルタンク(ボイラの上にU字形の断面をもつ水タンクをのせた構造)やシリンダをフレームの内側に配置するインサイドフレーム式の機関車は、当時のイギリスにおいて、工事用など小形機関車などに見受けられた構造である。
記事
<日本鉄道>
日本鉄道は、1883年7月28日に第一区線の上野 - 熊谷間を開業し、後に現在の東北本線、高崎線、常磐線、山手線、埼京線などに当たる東日本全般に路線を建設し運営をした民間会社である。
しかし、路線の建設や運営には政府及び官設鉄道が関わっており、建設路線の決定も国策的要素が優先されたり、国有地無償貸与、建設国営など実質上は「半官半民」の会社であった。
<「日本鉄道」設立の経緯>
1872年5月、高島嘉右衛門は東京から青森に至り北海道開拓を支える鉄道の建設を政府に建言、却下されるも、高島は政府要人の岩倉具視を説き鍋島直大、蜂須賀茂韶をして明治天皇および当時の政府に『華族と士族が家財をもって会社を建て、東京と青森あるいは東京と越後新潟に鉄路を敷き蒸気機関車を走らせることを補す』ことを建言させた。
こうした経緯を経た1881年8月1日、岩倉具視をはじめとする華族などが参加して私立鉄道会社「日本鉄道」の創立が決定し、同年11月11日、設立特許条約書が下付され、初代社長に吉井友実を選出して会社が設立された。
もともと政府では井上勝をはじめとして鉄道は国が敷設して国が保有すべきであるという意見が強かったが、西南戦争の出費などで財政が窮乏してしまったこともあり、民間資本を取り入れて鉄道を敷設することになった。[wikipedia]