ルドルフは、蒸気機関よりも高効率の機関を開発するため、ニコラ・レオナール・サディ・カルノーの仮想機関「カルノーサイクル」の研究に基づいた内燃機関の設計を始めたが、その実験の過程で得られた知見を基に新たな等圧サイクルを考案し、1893年「既知の蒸気機関と内燃機関を置換する合理的熱機関の理論と構築」(Theorie und Konstruktion eines rationellen Waermemotors zum Ersatz der Dampfmaschine und der heute bekannten Verbrennungsmotoren) と題した論文を発表し、ディーゼルエンジン発明の基盤を築いた。
1893年2月23日、特許を取得。 特許はドイツやアメリカ(アメリカ合衆国特許第542,846号、アメリカ合衆国特許第608,845号)を含む各国で取得した。(Wikipedia)
生産技術
ディーゼルは熱力学と燃料効率の理論と実際の制約を理解しており、蒸気機関では燃料から得られるエネルギーの90%が無駄になっていることを知っていた。彼はもっと効率の高い機関を設計することを目標としていた。カルノーサイクルの内燃機関を実験した後、独自の技法を開発。最終的に独自設計の圧縮点火型内燃機関の特許を取得した。
その設計では、燃料は空気圧縮の最後に注入され、圧縮によって高温になっていることで点火する。
1893年から1897年まで、アウクスブルクのマンAGの重役 Heinrich von Buz がディーゼルにそのアイデアを発展させ評価する機会を提供した。
時代背景
1886年にはカール・ベンツがガソリンエンジンを搭載した自動車の特許を取得している。
ハーバート・アクロイド=スチュアートは、ディーゼルの2年前に焼玉エンジンの特許を取得。ガソリンエンジンのような点火プラグを使わない点ではディーゼルエンジンと似ている。
焼玉エンジンとディーゼルエンジンの特許の差異は、圧力(約90PSI対500PSI)の高さと熱効率の差である。
記事
ディーゼルエンジンの名は彼に因み、元々は「オイル・エンジン」と呼ばれていた。安価な石油や重油を燃料とした効率のよいこの機関は、たちまち世界中で利用されるところとなった。