1987年の国鉄分割民営化に先立ち、経営困難が予想された「三島会社」(北海道・四国・九州)の経営基盤整備を目的として、民営化直前の1986年に製作された。
キハ31系20両キハ32系21両キハ54系41両が新潟鐵工所、富士重工業で製造され、キハ31系は九州へ、キハ32系は四国へキハ54系は北海道と四国へそれぞれ配置された。
生産技術
キハ31系は、オールステンレス車体とし、台車・変速機・ブレーキ装置などの部品には廃車発生品を多用してコストダウンを図り、またドアや冷房装置・暖房装置等にはバス用汎用品を採用して、軽量化・コストダウンを進めている。さらにワンマン運転にも対応し、ワンマン運転用機器が容易に取り付けられるような構造としている。エンジンは、DMF13HS(250PS/2000rpm)を1機搭載している。
キハ32系は、製造コストを低減するため普通鋼製車体とされた。しかし、同時期に製造メーカー2社が手がけていた第3セクター鉄道向け軽快気動車の設計手法が取り入れられて構造や材料が見直された結果、キハ40系などの従来車よりも大幅な軽量化が図られている。また、閑散路線での使用を前提としており、車体全長は国鉄車両の基本である20mより4m短縮[1]されて16mとなり、さらに車体幅も2.7mに抑えられ、当時の国鉄の旅客車両としては最小の車両となった。(Wikipedia)
キハ54系は、四国向け暖地仕様の0番台と、北海道向け酷寒地仕様の500番台と急行仕様の550番台がある。ステンレス製軽量車体を採用し、勾配や積雪に耐える性能を得るためのエンジン2基搭載など、地域の実情に応じた装備が施されている。一方、台車や変速機・運転台機器等には在来車の廃車発生部品を再利用し、一部の機器にはバス用の汎用部品を用いるなどの策で、製作コストの適正化に留意している。
0番台は、四国向けであることもあり、側出入口扉に折戸を採用し、側窓も2段式窓を採用している。また、夏季対策としてバス用クーラーを搭載している。(Wikipedia)
500番台は、酷寒地北海道向けであることから、側で入り口は片引戸を採用し、側窓も0台よりも一回り小さい1段上昇式窓で、客室側にもう一枚窓をつけている2重窓構造が取られている。また、出入台と客室は客室仕切りで仕切られており、冷気の流入防止も図られている。冷房装置の設備は無い。
550番台は、500番台の急行仕様として製作された。車体の構造は同じであるが、新幹線電車0系の転換腰掛を設置している。