日光線準急列車向けとして、先行試作車を投入することとなり、キハ44800形 (44800 - 44804、※注2)、三等車のみの合計5両が1956年に落成した。これは、東武鉄道の新型特急電車1700系による特急との競合で、営業面での抜本的対策として開発されたもの。先行試作車は1956年10月、予定通り日光線の準急「日光」に投入され、使用を開始した。(Wikipedia)
1957年に製造された2次車から蛍光灯が採用され、同年末からの3次車では台車がそれまでのDT19から新型のウイングバネ式のDT22に変更された。1958年の4次車では側窓がバス窓から大型の一段上昇窓に変更され、エンジンはDMH17C(180PS/1,500rpm)が搭載された。
同系には、1エンジン搭載のキハ26及び二三等合造車のキロハ26がある。
生産技術
1955年、国鉄は画期的な軽量構造車体を備えるナハ10形客車の製造を開始する。このナハ10形同様のセミ・モノコック構造としたことで、重量増大を抑制しつつ車体寸法をキハ45000形に比して一回り拡大した21.3mとすることに成功した。
動力装置は、2エンジン方式で、DMH17Bエンジン (160PS/1,500rpm) とTC-2液体変速機、それにゴムブロックを枕ばねに使用するDT19台車の組み合わせである。(Wikipedia)
記事
21.3mの車体長は以後、国鉄在来線旅客車における最大基本規格として現在のJR各社まで踏襲されている。
「日光」での成功は大きな実績となってこれ以降もキハ55系の量産は続けられ、全国各地でキハ55系を用いた準急列車が新設されていった。(Wikipedia)
※注:キハ55系は、気動車のグループを便宜的に総称したもの
※注2:翌1957年4月の気動車称号改正により、キハ55 1 - 5に改番している