1951

国鉄 機械式ディーゼル動車増備とディーゼル化改造 キハ41500(2代)

キハ41500(2代)、42500(2代)

記事番号K130

終戦後、燃料事情の好転を受け、気動車の運転が再開された。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて73両のキハ41000形ガソリン動車は、機関を日野自動車製ディーゼルエンジンDA55に置き換え、ディーゼル動車化を行なった。この換装により誕生したのがキハ41500(2代)形である。(Wikipedia)
  戦時中にほぼ完成しながら放置され、戦後試作機が「発見」されて再度開発が進められていた、GMH17後継の標準型ディーゼル機関がDMH17として制式化され、量産品が1951年に完成した。その評価試験結果が良好であったため、この機関を用いたキハ42000形、キハ42200形およびキハ42500形(初代)のディーゼル動車化を同年2月から開始した。これが、キハ42500形(2代)と称されるものである。(Wikipedia)

生産技術

エンジン仕様
41500 (キハ06)
 DA55 バス用 83PS
41400 (キハ05)
 DA58 日野製
41300 (キハ04)
DMF13
42500
DMH17を基本

時代背景

昭和21年(1946年)から気動車復活
 松戸〜取手間を走行(キハ42000)

記事

1951年(昭和26年)には、このキハ41500形と同仕様で車体設計を多少修正した車両が50両新造された。番号は41600 - と区分されたが形式はキハ41500形で、外観上では車体が全溶接構造でリベットがなくなり、屋根に雨樋が追加された。(Wikipedia)

  • 形式 キハ41500〔キハ06〕
    出所 「100年の国鉄車両」(交友社)

  • 形式 キハ42500〔キハ07〕
    出所 「100年の国鉄車両」(交友社)

  • キハ42500 運転室
    出所 「100年の国鉄車両」(交友社)