西成線列車脱線火災事故は、1940年(昭和15年)1月29日に大阪府の鉄道省西成線(現在のJR西日本桜島線)安治川口駅構内において発生した列車脱線転覆による大火災事故である。
この事故により、引火しやすいガソリンを鉄道車両に使用することの危険性が指摘され、より安全なディーゼル動車の開発が進められた。(Wikipedia)
時代背景
1940年ごろから、戦争に備えてガソリンが不足で、1945年の敗戦まで気動車は全て停止した。
記事
駅員の分岐器切り替えの不正操作により、列車通過中に分岐器を転換したため、気動車(ガソリン動車)列車のキハ42000形3両編成のうちの最後尾の1両が2対のレールにまたがったまま進行し、同駅構内の島屋町踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆。燃料のガソリンへの引火により火災が発生。
脱出困難などの悪条件が重なったことから、死者189名、重軽傷者69名を出す大惨事になった。