1921

発祥期の気動車 (自動機客車)

自動機客車

記事番号K45

内燃動車を営業運転に正式に用いた始まりは、1921年(大正10年)好馬軌道(福島県)である。
千葉県営の人車軌道を前進とする夷隅軌道は1924年(大正13年)に動力をガソリン機関に変更し、4両の動車によって客貨の営業を実施した。
地方鉄道で最初に内燃動車を使用したのは栃尾鉄道(新潟県)で1925年であった。(日本の内燃車両)

生産技術

内燃動車の発祥期における基本的形態は運転台を一端だけに置き、原動機はガソリン機関のほか焼玉機関の搭載も可能として、台車は使用せず台枠に軸受を取り付けている。(日本の内燃車両)

時代背景

地方鉄道・軌道で内燃動車の使用を企画した動機は、興隆の著しい自動車運輸との対抗策としてである。蒸気機関車が牽引する列車を内燃動車に置き換えることは、燃料費・人件費をはじめ、営業面でも好結果を得ることが多かった、しかし、当初における動車の性能は低く、輸送量の大きい鉄道路線で使用するまでには至らなかった。(日本の内燃動車)

記事

<「気動車」の呼称について>
 JIS E 4001 鉄道車両用語では気動車は慣例語で、正式用語は、内燃動車「動力及び/又は駆動用電力の発生装置に内燃機関を用いる旅客車及び貨物車並びにこれに連結する制御車及び付随車の総称」となっています。
 本年表では、一般に使われている「気動車」を使用します。