ATS-S形システムの問題点として、確認扱い後の防護機能が失われることが避けられないため、1974年以来検討を重ね、1980年に関西線においてパターン付きATSの試験運用を行なった。1982年に実用化の見通しを得て、さらに1985年に情報を多量に送受信するトランスポンダを使用した改良型パターン付ATSの開発が行なわれた。
その後、開発されるH-ATSが採用されるに至り、実用化されずに廃止された。→1987年H-ATSの項参照。
(Wikipedia)
生産技術
多変周点制御式ATS-Pが関西本線で試用された。
時代背景
1973年12月26日関西本線平野駅にて、分岐器の通過制限速度を大幅に超えて進入した列車が脱線する事故が発生。速度照査機能付きATSの開発が行なわれてきた。