1960

日本で初めてATOを設置し、試験開始

名古屋市交通局 東山線 名古屋〜栄町間

記事番号S060

省力化と運転能率の向上ならびに安全性を確認することを目的として、1960年10月頃より名古屋市交通局が日立製作所と共同研究によるATO走行試験を東山線 名古屋〜栄町間2.5kmの区間で実施したのが日本出始めてATOを設置した試験であった。 (鉄道信号発達史 信号保安協会(1980.4))

生産技術

翌1961年12月より半年間、営業運転に影響を与えないようにした上で、主要なリレーの動作回路などの動作を記録し検討している。より安全と経済性についての研究の必要性や運転士が監視のみの作業となるため心理的負担の増大を解決すべき課題とされている。(鉄道信号発達史 信号保安協会(1980.4))

時代背景

世の中は、電子技術の発達から、自動制御理論が急速に進歩し、交通分野でも飛行機や船舶などが自動制御で安全に運転している時代を迎えていた。

記事

・帝都高速度交通営団: 1958年の頃より電子技術の発達から営団の中では、日比谷線で自動制御による運転の実現を目指し検討を重ねてきており、1963年に運輸省 からの研究補助金を受け、車上パターン方式を実験するに至った。1964年9月に日比谷線南千住〜人形町間の営業線で実際の運転が行なわれ、その後1968年10月より2編成が実用化の試みとして使用されている。(鉄道信号発達史 信号保安協会(1980.4))
・大阪市交通局: 1967年に2号線 東梅田〜谷町4丁目間でATO自動運転の試験を実施、1970年10月より営業運転区間(野田〜新深江)に1編成を投入し実用試験実施。1971年12月より千日前線 新深江〜今里間で試験して車上パターン方式と地上パターン方式の比較など検討実施した。
・東京都交通局: 1972年当初より6号線(三田線)の本蓮沼〜志村3丁目間3kmで夜間試験車両によるATO試験を実施。(鉄道信号発達史 信号保安協会(1980.4))

  • ATO受信装置(1962年営団日比谷線 公開試験用)
    出所 「京三製作所70年史」

  • ATO地上子(1962年営団日比谷線 公開試験用)
    出所 「京三製作所70年史」