1941年に山陽線網干駅列車衝突事故。戦時下に入り特に山陽線の陸上輸送力が戦力の隘路だったため、この事故をきっかけに1942年には、当時最先端技術の連続コード式自動列車制御装置の設計が開始された。3段速度制御連続コード車上現示式で、1943年に三島〜沼津間、辻堂〜茅ヶ崎間で実用試験実施。東海道・山陽・鹿児島線での設置工事を開始したが、受信機が爆撃を受け全損したため頓挫する。(Wikipedia、京三製作所70年史)
生産技術
連続コード式の開発経緯:1940年、幹線の輸送力増強策として、東鉄管内で打子式とコード式の機能動作試験を実施。この試験結果、自動列車停止装置(=ATS)は、速度制御装置(=ATC)を加味すべき、との意見が大勢となったという。1941年12月〜翌1月新潟で蒸気機関車による連続コード式自動列車停止装置の現場試験を行った。(京三製作所70年史)
記事
連続コード式技術の内容:
2本のケーブルを張り、列車進入時送電端の速動継電器が働き、コード(180,120,80の3コード)を送電する方式。コードトランスミッタは、単相コンデンサモータでカム軸を駆動するもの。車上受信器には、増幅器の電源用に電動発電機を内蔵させた。