1951

日本初のボルスタアンカの採用。オイルダンパ採用して試験実施。

阪急千里山線用200形電車 KS-1形(汽車会社)

記事番号D140

TR37形に少し遅れて汽車会社製KS-1が登場した。車体前後動対策が徹底して行われ、ボルスタアンカの初採用、心皿高さを極力低くする、などの工夫がなされている。まくらばねが、コイルばねとなったが、重ね板ばねを併用した。これを、オイルダンパと交換して走行試験を行った(阪急京都線、S26年9月)。これが、オイルダンパ採用の始めである。軸間距離を今日の台車と同じレベルの2150mmとしている。(鉄道車両と技術 N0.122 2006)
京阪1700形電動車用をKS-2形、同1750形付随車用をKS-3形と称す。

生産技術

台車の設計方針は、下記で(3)以外は、戦前・戦後を通じて新しい試みであった。(元 汽車製造(株)取締役技師長 高田氏)(鉄道ジャーナル 1975.5)
(1)台車の軸距を短縮する
(2)枕ばねにコイルばねを採用する
(3)長い、単純な釣りリンクを採用する
(4)心皿の高さを低下する
(5)ボルスタアンカを採用する

記事

鉄道車両用にオイルダンパの利用が始まったのは、アメリカで1937〜38年ごろ。日本でも自動車には既に使われていた。
日本のオイルダンパの草分けは、萱場工業、トキコ、振興造機(現 神鋼造機)で、1951年の初夏にトキコが鉄道車両用(大容量)をまず開発した。ほぼ時を同じうして萱場工業も作り上げた。

S26年の走行試験の後、国鉄・私鉄・その他メーカーなどの関係者を招いた試乗会を行い、コイルばねとオイルダンパの組み合わせによる非常に良好な乗り心地を体感してもらうことが行われた。天神橋〜正雀間の往路をオイルダンパ付き、帰路は取り外しての走行で、共振をおこさずコイルばね特有の柔らかい非常に良好な乗り心地を試乗した人皆がはっきり認識した、という。(鉄道ジャーナル 1975.6)