1914年東京〜横浜(高島)間の京浜線が電化、品川〜横浜間を日本で初めて1200V DCとした。
省電モハ1形は2〜3両の編成運転とした。
・1200V架空単線式対応パンタグラフ
・MA式(自動進段式)コントロール、C-36形マスコン(GE製)
自動間接制御式の電磁接触器制御装置
・105PS×4(GE製)
・直通兼自動空気ブレーキ式(GE製)
(鉄道車両と技術No.141(08-2) p41)(国鉄電車発達史(電気車研究会) p31〜35)
生産技術
電機品、ブレーキ装置はGE製
制御は、GE社の自動間接制御式の電磁接触器制御装置。
1919年にこれと同じ装置を芝浦製作所(1904年田中製作所が改称。現、東芝)が開発した。(東芝交通事業100年のあゆみ p29)
時代背景
輸送需要増大に向けて電車専用線を東京〜横浜間を建設。全くの新線であり、車体は大型化(幅2.7m)、架線電圧1200V化、パンタグラフ方式としたもの。
記事
国電の京浜線は、従来の山手線や中央線のような買収した線区と異なり、当初から官営線区であり、東海道に平行する電車専用線として新設された線区である。そのため、輸送量増大に対して大型・高性能車両を投入することができた。
しかし、1914年(大正3年)12月の開通式後、運転当初の1週間で運転は中止、再開は翌年5月という事態を引き起こしている。これは、車体重量が重い割りに台車のばねが弱く、またパンタグラフの架線押し上げ力が強すぎたり、道床の固めが不十分だったりで、ついにはパンタが架線から脱線する、という事故が発生したための中止であった。再開後は順調に運転された。(国鉄電車発達史(電気車研究会) p32)