戦時体制下から戦後にかけて量産された通勤形電車で20m、4扉タイプという大型車体を本格採用した最初の電車。
戦後の復興期1950年までに688両が量産されたもの。戦時下の資材を極限切り詰めるため、鉄鋼の節約や木材などの代用および作業の簡便化などの設計がなされ、車端部は工作が容易な切妻構造。外板は、1.6mm厚。歪み取り措置も省略された。電装品も極めて粗悪な代用品が使用され、絶縁の脆弱さは後の桜木町事故(1951年架線作業中に進入した電車の車体がパンタとの間で地絡し全焼、多数の犠牲者(106人焼死)を出した列車火災事故)に繋がった。以後「ロクサン形電車」は欠陥電車の代名詞にもなったという。
「ジュラ電」3両(1946年記事参照)もこの形式から派生したもの。(Wikipedia、国鉄電車発達史 電気車研究会)
生産技術
<国鉄初 通勤向け20m 半鋼製車体(電車) 製作>
時代背景
資材を切り詰めた戦時設計