1927

国鉄初の半鋼製客車

国鉄 オハ31形、オロ30形客車

記事番号A080

1927年3月31日、新製客車の鋼製化とともに木製客車の製作を打ち切る方針が決定され、丸屋根は技術上製造困難なことと風情を残すため木製のままとした半鋼製車体が製作された。これがオハ31(当時オハ32000)やオロ30(当時、オロ30600)などの車体長17m、2軸ボギーの客車群である。
その後、 アメリカで行われていた構体の冶具による組立法や側外板の点熱急冷による歪み取り技術などの工作法を模倣して研究し、日本における製造技術として確立されていった。
(「金属」Vol.70(2000),No.2,100年の国鉄車両(国鉄編集、交友社S50))

生産技術

<国鉄初 半鋼製車体(客車) 製作>
大正12年頃から計画され、外国の鋼製客車の比較調査を行い、大正15年度に設計、製作に着手、昭和2年に誕生したもの。半鋼製とはいえ、木造車をそのまま鋼製に置き換えたような構造であった。
オロ30600 製造:日車、川崎造船(現、川重)
オロ32000 製造:日車、川崎、汽車(東)、新潟、田中、大阪、日車(支)、梅鉢、藤永田

時代背景

1926年9月23日 山陽本線で特急脱線転覆事故が発生し、木製構体は粉々に破損、多くの犠牲者が出た。この事故が、国鉄車両の構体の鋼製化を急がせるきっかけとなっている。

記事

世界の鋼製客車
1900年以前は全て木製であった。客車車体の鋼製化は、米国で初めて実現した。1904年にニューヨーク市の地下鉄道Interboro R.T.社向けのStandard Steel社製荷物車が全鋼製で製作実現した。
鋼製化の最も主な理由は、(1)火災対策であった。
これは、木製車は、暖房や照明(点燈)から事故時に火災を起こして焼死者が出るという問題を解決するため、不燃材料による車輌の構成が提唱されたもの。
その他、(2)事故時に木材が割れ裂けてそのため死傷者を出す(3)に山火事等で梁、根太等の構造用良材が払底した(4)木製貨車との衝突時、鋼製なら客車の方が助かる(5)速度向上、列車長の増大、車体の大規模化に伴って木製構造では強度が不足、などの要因に対する対策であった。
日本の場合の鋼製客車化の理由は、米国と違い、上記の(2)、(3)、(5)が当てはまる。
(「鋼製客貨車」 鉄道省 工作局 小坂 狷二著p2〜4より)

  • オハ31(オハ3200)外観
    出所 「100年の国鉄車両」(株式会社交友社)

  • オロ30(オロ30600)外観
    出所 「100年の国鉄車両」(株式会社交友社)