国鉄の初の電車運転は1906年10月1日に国有化したこの甲武鉄道、すなわちその後の中央線である。
1909年(M42) ボギー電車10両を導入した。
電機品はSiemens製45馬力4個 (我が国の鉄道車両工業(都崎) p82)
1912年(T1) ニデ950半分荷物室化の改造。
また、その後各車は電機品(GE製)を流用し、両運転台式の
制御電車に改造されたものもある。 (鉄道車両と技術No.141(08-2) p41)(Wikipedia)
時代背景
1906年(M39) 鉄道国有法により全国主要17路線が国有化した。甲武鉄道もそのひとつの国有化路線。
記事
<鉄道国有法の制定>
鉄道国有法は、1899年以来の鉄道の国有化論争が、大規模軍事輸送上から日露戦争最中に再燃、戦争の終結した1906年3月の帝国議会で揉めながらも最後に修正案で可決されたもの。ときの外務大臣加藤高明は、異を唱えて辞任している。加藤は三菱の岩崎弥太郎の娘婿。三菱は当時九州鉄道を支配しており、三井の筑豊炭の輸送をコントロールできた。西園寺内閣の力を借りて鉄道国有化を進める三井とこれをなんとしても阻止したい三菱との戦いでもあった。(十河信二伝+日本国有鉄道史第3巻)
<大正から昭和初期の国鉄・民鉄・路面電車の電車数の割合>
・路面電車が全盛。 昭和には6500両を越えている。
・民鉄は国鉄より早い発展期。昭和に約3000両、さらに昭和10年には4000両超。(一部客車含む)
・国鉄の電車は、民鉄よりかなり少なくこれを追いかける状況であった。
大正元年 約70両、昭和に約800両、昭和10年に約1500両。
<国電発展の背景>
・国鉄の電車は、関東大震災(1923年(T12))以降、郊外に転居者が多数出た。
環状線・京浜線の発展とあい俟って飛躍的に発展をした。
・大都市に流入する多大な通勤者のための短時間大量輸送が急激に必要となった。
長大編成化と急加減速のための電動機容量の増加、車体の鋼製化が実施された。
出所:我が国の鉄道車両工業(都崎著、1950年版)p80、p88のデータによる。